思考を言語化する訓練として、僕は毎日のように日記を書いているのです

「なんで日記なんか書いてるの?」と聞かれたら、「思考を言語化する訓練だよ」と答えるとカッコイイかな?

2013 10 29 23 23 48

みなさん、こんにちは!
いそっぴです。

今年の1月から日記を書き始めた。

日記なのでもちろん毎日書いている。

日記はこれまでも何度も取り組んだが、これほど継続できて習慣になったのは始めてのこと。

5年使える日記帳などというものを買ったこともあるが、続いたのはせいぜい1ヶ月がいいところだった。

ではなぜ今回は10ヶ月とはいえ継続できているかというと、それば「気持ち」ではなく「出来事」を書いているからだと思う。

日記には心の奥底にある心情を書くものだという風潮があるが、そう考えるとハードルが高くなって継続できない。

そりゃ毎日、心の奥底にある感情を書くなんてヘビーなことは続く訳がない。

感情を吐き出すということはとても骨が折れることなのだ。

だから僕は日記を継続するために、毎日書くことは基本的にはその日に起こった「印象のある出来事」にしている。

つまり「日記」というより「日誌」に近いことを書いているのだ。

そして、できるだけ仕事のことは書かないようにしている。

仕事のことを書くと、本当の意味での「日誌」になってしまうから。

そんなマジな日誌は、後から読み返してもまったく楽しくない。

日記を読み返すことは殆どないが、はじめから読み返しても楽しくないことを書いてもつまならいだろ。

それでも度々、仕事のことを書いてしまうのは、会社勤めの悲しい性なのだろうか?

 

日記を継続するモチベーションを維持するために、日記を書く手帳と筆記具には気を使っている。

なにごとも形から入る性分なのだ。

手帳は「モレスキン」という文具フリークには有名なちょっと有名なものを使っている。

MOLESKINE モレスキン

ゴッホやピカソやヘミングウェイが使っていたというのが触れ込みの、フランスの伝統あるノートだ。

男はこのようなトラディショナルなものに弱いのである。

少々お高いので、ちょっともったいない気もするが、これぐらいの手帳の方が「書かないといけない」という気になるのだ。

なにぶん貧乏性なもので。

筆記具は高価なものではなく、安価なものを飽きない程度のサイクルで入れ替えて使っている。

新しいペンを手に入れると文字を書くのも楽しくなるよね。

だたし、インクを使い切る前に入れ替えるので、手元には使いさしのペンが溜まるのが難点である。

 

そのようにして日記を書いている目的は何かと云うと、それは思考を言語化する訓練ためだ。

「思考を言語化する訓練」というのは、簡単に云うと文章を書く練習のことである。

たとえばブログを書く場合のことだが、ハウツー的な記事は楽々に書けるのだが、自分の意見や考えを書こうとすると、その途端に文字が頭に浮かばなくなってしまう。

思考を文章化する回路が、頭の中に出来上がっていないということである。

ハウツー的な記事は、思考を文章化するというプロセスがほとんど必要なく、事実を並べるだけで描き上げることがができる。

しかし自分の意見や考えを書くには、頭のなかにあるモヤモヤしたものを文字に置き換えるという作業が必要となるのだが、それがなかなか難しい。

その思考を文章化する訓練として、毎日のように日記を書いているのである。

 

というような答えはカッコイイよね。

本当は、一週間前のことが思い出せなくなった、という理由もあるのだけれど。

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